権力の正当性
テレビの報道番組で鳥越俊太郎氏が病気治療から復帰し、病床でテレビなど見ながら気になった言葉として正当性に関わるlegitimacyについて取り上げていました。
この内容は、私が最近、感じていたことと全く同じ内容であり、はたと膝を打って「その通り」と強く共感を覚えました。
- 首相の支持率が10%といった水準で国民が支持していないこと。
- 郵政に賛成か反対かを問う争点の選挙で得た今日の与党の体制であること。
- 二人の首相が相次いで政権を途中で放棄するという異常事態下でたらい回しで作られた3人目の首相であること。
国民の大半が望んでいないにも関わらず政権が維持されているということです。
議会で正式の手続きを通して選出されたことには間違いありません。
その意味で法的には、正当性は認められていることではあります。
マックス・ウエーバーは、支配の正当性に関して、支配の正当性の根拠を以下の3つに分類しています。
すなわち、「伝統的支配」「カリスマ的支配」「合法的支配」である。
現在、麻生首相がその座にあるのは、合法的支配に基づく権力を行使しているということでしょう。
「合法的支配」とは形式的に正しい手続きにより定められた規則の合法性に対する服従者の信憑に基づき、規則により支配行使を認められた者から規則に則って下される命令と、その命令を合理であると認めることによってなされる服従による支配構造ということになります。
が、しかし、それでいいのかということです。
現在のルールが今日の政治不在による混迷を招いてしまっているとすれば、法律を変えて貰うしかありません。
またドラッカーは、権力の正当性について以下のように述べています。
『正当な権力とは、社会のエトス(ethos)によって正当化される支配権』
「エトス」は、社会集団における道徳的な慣習という意味。
ちなみに オックスフォードの辞書では、『ethos』について、以下のように説明されています。
the moral ideas and attitudes that belong to a particular group or society:
アリストテレスがリーダーに求められる資質として修辞学で説いた中でもこのエトスがとり上げられています。
麻生首相の主張がくるくると変わり一環していないなどに象徴される信頼感、誠実さといった道徳的な慣習を欠いていることの証拠が10%程度の支持率に反映されています。
国民が感じている権力の正当性は、ドラッカーの意に近いように思われます。
このような正当性を欠く政治状況が続く限り、種々の社会制度が機能しなくなり、なにより失業者が増え、社会不安が増しているのに何も手が打たれない。
誰の目から見ても国民から著しく乖離した暗黒の政治状況となっています。
権力の正当性を回復するには、解散総選挙しかありません。



