これが党の再生に向けての真のスタートになるか注目される。
自民党の8日の両院議員総会の様子がテレビで放映されたがこれはひどかった。
16日召集の特別国会で両院議員総会長の若林正俊元農相に投票することが決定されたがそこまでの迷走ぶりはひどかった。
総選挙での敗北以降の期間で新総裁を決められなかったことこそ、総選挙の敗因を象徴しているように思える。
当初、党執行部側は総裁選の投開票が今月28日になることから、16日時点の総裁である麻生氏を首班指名候補とする方針だったが、中堅・若手から異論が噴出したため変更。
次に「白紙」での投票を模索する動きが出たが、これも反対意見が噴出し、まとまらず。
結局、総裁ではなく両院議員総会長の若林氏に投票するという前代未聞の苦肉の策を採用することになった。
総会の当日、麻生首相は、「本人の意見も聞いてやれよ!」とかいって目の前のマイクを隣の若林氏に向けてポンとマイクを突いて回したのである。
その時の麻生首相のマイク使いが奢りから目覚め切れていない人物像を象徴しているように見えた。
国民が注視している公式の場でのあのような横柄なマイク操作というのは、見たことがない。
今回の総選挙の敗因を総括することから自民党の再生が始まるはずだが、国民への謙虚さがないと総括できるはずもない。
今回の自民党の敗因の一つに与党たるに相応しいビジョンをクリアに説き、国民をリードするといったことが皆無で、民主党の政策のあら探しのような野党そのものの選挙に終始したこともあると思われる。
松下幸之助氏は、『敵をほめる』として、以下のように述べている。
「商売や経営では相手をくさすことはしない。ライバルのいいいところを見て、それを頂戴する。政治も同じく、相手の良い政策を取り入れ、そのうえで味付けをすればいい。そうすれば、日本の政治もよくなる。」
商売ではライバルに対して以下のような姿勢で取り組んだという。
「むこうさんの品物よろしおます。それもこの中にちゃんと入ってます。」というてやってきたわけや、われわれ企業経営者は、他の業者を悪く言わない。けれども、こと政治になるとみんな悪く言うてる。あれ、おかしいと思うな。
(略)
そういう相手をくさしてだけいるようでは、百年たっても成果は結ばれん。よくならんね。日本の政治はよくならん。」
自民党の再生のためには、思い切った世代交代とこのようなしたたかな姿勢も大切ではないか。
しかし自民党の派閥のボスの顔ぶれを見ていると旧態依然としており歴史を逆に回すようにしか見えない。
とても変われるようには思われない。
谷垣氏には、自民党の再生の本命として、力量を発揮して貰うことを大いに期待したい。
]]>結果は、「政権交代」を訴えた民主党が選挙前の115議席→308議席を獲得。
これに対して、自民党は、選挙前の300議席→119議席に激減した。
前回の郵政選挙から攻守ところを変えたオセロゲームのような結果となった。
なぜか31夜の「選挙特番」のテレビで登場する自民党の幹部の顔は、なぜか無表情で平家の落ち武者のような雰囲気を醸し出しているように感じた。
祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらは(わ)す。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。
今回の選挙の結果を受けて、社民、国民新両党を加えた新連立与党の議席は318議席に達し、衆参両院の「ねじれ」は解消することになる。
「敗軍の将兵を語らず」という言葉はあるが、31日夜の麻生首相の談話によると以下のように発言している。
選挙結果は、大変厳しいものになった。国民の声を真摯に受け止め、反省の上に立って出直さなければならない。
自分の力不足を改めて感じている。経済対策は道半ば、甚だ断腸の思いだが、自民党に対する積年の不満をぬぐい去ることができなかった。
責任を負わなければならない。
自民党総裁を辞任させていただく。
解散を昨年10月にすべきだという意見はあったが、私は景気・経済対策が、解散・総選挙より優先されるべきだと判断した。
政策を政局より優先させたのは間違っていなかった。
何が敗因であったかをしっかりと分析し、そこにメスを入れないと復活はあり得ない。
『政策を政局より優先させたのは間違っていなかった』といってしまうと全く自分は正しかったと意固地になっているように聞こえる。
「兵は拙速を聞くも、未だ巧みの久しきをみざるなり」ということもある。
国民の目からすると政策を優先するというのはここまできてしまった後付の理屈で、実際は、優柔不断で政局の決断ができなかったことが露呈してしまっていたことも敗因の一つだったのではないかと思われる。
今回の結果については、何より自民党が国民の声から遠く乖離してしまっていたことが大きいように思う。
国民は、自民党政治にChangeを望んでいた。
当選してきた自民党の代議士の顔ぶれを見ても残念ながら賞味期限切れで「昔の名前ででています」という人が目立つ。
これでは、国民が望む方向に自民党がギアチェンジすることのハードルは高いように見える。
与党の自滅もあって、政権獲得となった民主党には、国民の声を生かす真の民主主義政治を推進して欲しいものだ。
]]>驚いた以上に唖然とし、思わず耳を疑った。
こう言ったのだ。
「国民からして今、最大の関心事は西松(建設の違法献金)の問題だと思います。この国民からの目線というものは、一番の関心事であって、これに対して、鳩山代表として、十分に国民に対して、説明を果たされたと思っておられるのでしょうか。」
国民の最大の関心事が西松の問題とは、なんという認識のズレだろうか?
国民はそんなこと以上に、現下の経済不況の行方、明日の生活の不安、雇用不安の問題、年金の問題、医療保障の問題、地方格差の問題、貧困の問題、財政赤字の問題、北朝鮮問題、税金の無駄使いの問題、新型インフルエンザ問題、等々......我が国の将来像の問題に不安を抱いている。
今の政府が無策で期待できないのなら、せめて早く選挙をやり、国民の手に選択権を与えて欲しいとそのことに関心を持っているのだ。
政権与党のトップとして野党とは、政策実現で圧倒的優位の立場にあるはず。
したがって野党との違いを際立たせたいなら、堂々と横綱相撲で受けてこれらの問題に対して解決できる力量を備えていることを自信を持って述べるべきだった。
麻生首相の練られた発言は、不十分でもそのような趣旨のものになるだろうと思っていた。
しかし、むしろ与党側を巻き込んでの政策提言の呼びかけをしていたのは、鳩山代表の方だった。
国民の目からは、どちらが首相の器か、信頼できそうかとの関心がある。
その昔、佐藤首相が記者会見の際に、マスコミのメディアに対して新聞記者の同席は、ダメでテレビの放映は良い。
といったやりとりがあったことを思い出した。
新聞記者は客観的な事実だけでなく、自分の意見も入るが、テレビは、事実を映し出すから良いというようなことでなかったかと思う。
この日の後の報道番組では、この勝負どちらに分があったかなどと色々の人のインタビューなど交えてどっちもどっちと評論していた。
しかしテレビは、ある意味恐ろしい。
どちらが国民に信ありと思われたか、宰相たる器なのかについて、ありありとこの日のテレビは、事実を映し出していた。
麻生首相は、執拗に野党攻撃の発言にこだわり、完全に視線は国民目線にはなく、ただ一点、相手の揚げ足や弱点を突いて選挙を優位にというような狭い器であることを露呈してしまった。
そんな国会内の駆け引きといったコップの中の嵐のような小さな問題については、,国民はどうでも良いのだ、
麻生首相が国民の目には、何でも反対と言われた55年体制の万年野党の党首のように映っていたと感じたのは私だけだっただろうか。
ところで、安岡正篤氏は、「信」について以下のように述べている。
信は、のびると読み、まかすと読む。
人は、信であって始めてのびるし、それは又、大道にまかすことだ。
国民に信があるかどうか。
国家興亡の大原則だ。
信の語源を探ると、ニンベンは人で、言は、神に誓うことだ。
信とは、人が神に誓うことで誠であることでもある。
天の道の誠から外れることは、悪である。
国会議員は、国民が信じて任せるもの。
この党首討論は、ほとんど内容の無い無駄な45分であったように感じた。
国民の関心事を言うのであれば、国家興亡の手遅れにならないうちに早く国民に信を問うて欲しいのだ。
]]>情報流出の被害を受けた顧客にしたらたまらない。
連日のように心当たりの全くない不動産、先物取引などのしつこい勧誘。
この会社のトップは、「弁護士ら第三者の目で原因究明を図り、再発防止を徹底する」とのこと。
「合併の繰り返しで、会社の一体感が不足し、ガバナンス(企業統治)が確立していない」とか言われている。
「組織は、すべて、人と社会をより良いものにするために存在する。すなわちミッションがある。目的があり、存在理由がある。」とは、ドラッカーの言葉。
この会社では、自社のミッションが何かを忘れてしまっているのではないか。
寄り合い所帯だろうが、何だろうが、自社のミッションを会社の一人一人の社員に徹底させるのは、トップの主要な役割。
某財団法人の前理事長に至っては、ミッションどころか「営利を目的としないもの」であるべきところをミッション以前のお粗末さ。
いまこそ、組織のトップには、ドラッカーの言葉をかみしめて欲しいものだ。
]]>この内容は、私が最近、感じていたことと全く同じ内容であり、はたと膝を打って「その通り」と強く共感を覚えました。
国民の大半が望んでいないにも関わらず政権が維持されているということです。
議会で正式の手続きを通して選出されたことには間違いありません。
その意味で法的には、正当性は認められていることではあります。
マックス・ウエーバーは、支配の正当性に関して、支配の正当性の根拠を以下の3つに分類しています。
すなわち、「伝統的支配」「カリスマ的支配」「合法的支配」である。
現在、麻生首相がその座にあるのは、合法的支配に基づく権力を行使しているということでしょう。
「合法的支配」とは形式的に正しい手続きにより定められた規則の合法性に対する服従者の信憑に基づき、規則により支配行使を認められた者から規則に則って下される命令と、その命令を合理であると認めることによってなされる服従による支配構造ということになります。
が、しかし、それでいいのかということです。
現在のルールが今日の政治不在による混迷を招いてしまっているとすれば、法律を変えて貰うしかありません。
またドラッカーは、権力の正当性について以下のように述べています。
『正当な権力とは、社会のエトス(ethos)によって正当化される支配権』
「エトス」は、社会集団における道徳的な慣習という意味。
ちなみに オックスフォードの辞書では、『ethos』について、以下のように説明されています。
the moral ideas and attitudes that belong to a particular group or society:
アリストテレスがリーダーに求められる資質として修辞学で説いた中でもこのエトスがとり上げられています。
麻生首相の主張がくるくると変わり一環していないなどに象徴される信頼感、誠実さといった道徳的な慣習を欠いていることの証拠が10%程度の支持率に反映されています。
国民が感じている権力の正当性は、ドラッカーの意に近いように思われます。
このような正当性を欠く政治状況が続く限り、種々の社会制度が機能しなくなり、なにより失業者が増え、社会不安が増しているのに何も手が打たれない。
誰の目から見ても国民から著しく乖離した暗黒の政治状況となっています。
権力の正当性を回復するには、解散総選挙しかありません。
]]>渡辺 喜美 元行革担当相の自民党離党表明など物議をかもしている。
新聞社等の調査でもすでに内閣支持率が危険水域へと突入している。
その要因に雇用対策や中小企業への支援策などの対応の遅さと国民が支持しない定額給付金の横車を押すような強引な推進の問題がある。
未曾有の経済危機に苦しみ、不安を募らせる人々の憤りの声が内閣にも聞こえないはずはないと思われるが、大きな勘違いがあるように思う。
安岡 正篤 氏のよく知られた原則論で幾つかの著作でも取り上げられているが、物の考え方に三つの原理があるとの論。
どこの視点に立つかが物を考えたり、議論したりするときの心得であると安岡氏は説いている。
定額給付金をめぐる首相の大きな勘違いは、国民の大多数は、目先で、一面的、枝葉末節的だが、自分たちは、長期的、全面的、根本的とでも考えているか、全く国民の代行者としての視点を欠いてしまっているかのどちらかのように思える。
国民の圧倒的多数の声は、重いはずである。
国民の声をこのまま無視していくとやがて必ずくる選挙での反動は大きいのではないか。
このように路線が国民の目線からずれてしまっていることに対して、民主主義を標榜しているにも関わらず政府・与党内で国民の声を受け止め軌道修正できる力量を備えた人物が相次いで登場しないことも不思議だ。
ほんものの政治家が少なくなったということだろうか。
麻生首相はじめ政府・与党は、今からでも国民の厳しい指摘を重く受け止め、定額給付金を切り離して早期に雇用対策や中小企業への支援策を含む二次補正予算を成立させて欲しい。
このような責任を取った形での大臣の辞任と次官の更迭で政府は、今回の問題のけじめとするつもりのようだ。
間近に迫っている総選挙への影響を最小限にとの意図がミエミエだ。
政治の世界には独自の言い回しがあるが、ところで、いつから責任の意味が転じたのか。
責任とは、「人や団体が、なすべき務めとして、みずから引き受けなければならないもの」という意味のはず。
責任の責の語源は、「賦貢を課すること」で自らのつとめ、責務を果たすことに他ならない。
「あんまりじたばた騒いでいない」などと、人ごとのように語った太田農相に責任を持つのは、大臣に任命した総理。こちらは、総辞職が決まっているが。
またこの人物を国会に送った主権者である選挙民だ。
次の選挙で主権者がどのように信任するかだ。
国民が農水省のトップに責任を期待するとすれば、以下の点に尽きる。
農水省として失われてしまった「食の安心を取り戻す政策を確実に実行するところまで見届けること」こそ責任の取り方だ。
この段階での辞任は、余りにも無責任ではないか。
ところで、今更の米粉加工販売会社「三笠フーズ」のトップだが。
どうやら雲隠れを決め込んでいるようだ。
安岡正篤氏も以下のように述べている。
「為さざるあるなり、しこうして後、以て為すあるべし」とは、孟子の言葉だが。
世の中がどうなっていようと自分はこういうことはしないというのは、理性の力で、これが節となってはじめて人間に「道」が立つ、これが義。これを結んで「節義」という。とのことだが、こちらの場合には、「節偽」となってしまっている。
しかしこの「節偽」を助長させたのは、農水省の責任大である。
]]>人は、見かけによれないというが、その種の社長の人相は、共通して確かに余り良くないように思う。
安岡 正篤氏は、「事業は徳なり」と、以下のように述べている。
「事業というのは、要するに人である。
したがって、本当の事業は、事業でなくで「徳業」なのだ。
会社の幹部になって事業を経営する人の人格、その気分、
思想などが自然に集まって一つの社風というものをつくる。」
ところが、偽装などの事件で登場する社長は、どう見ても勘違いをしているように思われる。
「徳業」を「得業」と。視界が狭く、お金の亡者になってしまっている。
こういう社長は、決まって会社を滅ぼす。
記者会見等での態度を見ていると、共通している。
自らの小成功に奢り、自らの知恵がいかにも優れていると消費者のことを無知だろうとなめている。
部下をいい加減に取扱い、会社を私物化し独裁者となっている。
こうなると決まって人相も悪くなってくる。
零細事業から創業し、「素直な心」が道をひらくを信条として謙虚にして、成長に成長を重ね、「いくつもの逆境をくぐり抜け、自分の夢を組織の夢に、さらに社会に奉仕する夢にまで高めた」松下幸之助さんの爪の垢でも煎じて欲しいものだ。
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]]>その人を十分に理解して、自ら動きたい気持ちにさせる。客観的で適正な評価をするというのが確かに『人を動かす』オーソドックスな筋道と思われます。
人間関係
人生のバイブル
いいものはいい
わかりやすい
なるほどしかし、なかなか一筋縄ではいきません。
人を見て法を説く事が必要です。
トップや上司たるものの要請に対する部下の切り返しは、『それは、無理です。できません。』との言葉です。
ここでの部下のこの言葉は、あとでできなかったときの言い訳の伏線の言葉。
これを上司としては、『いやできるはずだ』とか『もう君には頼まない』などと言ってしまったら上司の負け。
できるできないとの議論は、水掛け論の世界。
ここの上司側の切り返しのパターンとしては、
『無理を承知で君に頼むのだ。やってくれないか』
人を動かす際に、このような心理的な面からの対応も大切と一倉定氏は、説いている。
責任者が先ず果たすべき役割とは、以下の3つと松下幸之助さんは述べている。
1. 自分が預かっているチームとしての仕事を成就できているか
2. 新しい仕事を創造したか
3. 部下を育成する努力をしているか
特に上記の部下の育成についての肝は、以下の4点であるとしている。
1. 部下にものを尋ねるー心がけて、部下にものを尋ねると、部下のモチベーションUPにつながり、情報も多く集まり、結果的に部下から尊敬されるようになる。
2. 方針を明示するー方針を明確に示すことで、部下は自分の努力の方向を知ることができる。目標がはっきりしていることで、部下にとっては、自分の努力の結果がどこに繋がるかが分かり、自分からやる気を出して、一生懸命努力し、たいていは、期待通りの結果を出してくれる結果になる。
3. 権限を委譲するー部下が上司から信頼されていると感じて、特別な幸せを感じる。自分の創意が活かせるという喜びも重なって、精一杯頑張ることに繋がる。権限を委譲しても、権威を委譲してはいけないとし、上司が、人間としての是非を行動で示すと部下も責任者に敬意を表し、任せられた仕事を精一杯の努力をして向上していくと述べている。
4. 感動させるー部下を感動させることができない上司、経営者には、部下を育てることができない。人を感動させられるかは、あらゆる事柄の原点で、人間観をどうもっているかという点につながると述べています。
人材の育成こそ企業発展の原動力で経営者、責任者が自らを磨き上げ、部下を着実に育成させられる組織は、いつの時代であろうと、着実に伸びる組織になる。
経営学者の伊丹敬之先生が良き経営者について書いた本:「よき経営者の姿」よりの一節。
「”The mediocre teacher tells,The good teacher explains ,The superior teacher demonstrates ,The great teacher inspires.”」
「凡庸な教師は、指示をする。いい教師は、説明をする。優れた教師は、範となる。偉大な教師は、内なる炎に火をつける」
教師を経営者に置き換えれば、まさに経営者について語っているのと同じである。」
としていますが、これは、実に使いでがある言葉で教師を起業家、政治家などに置き換えても面白いと思います。
あなたは、起業家としてしっかりと部下の教育ができていますか?
もっとも政治家では、範となるどころか、説明もできず、指示するだけの政治家とかどこかに居そうです。
凡庸な政治家のように得意のセリフが○○について指示しただけになっていませんか?
経営者の要件としては、部下の内なる炎に火をつける。
すなわち組織の人々に対するしっかりとした動機付け(モチベーション)ができていることが極めて大切と思います。
ちなみに上記の「よき経営者の姿」はこちらです。
本の評価は分かれているようですが、よき経営者像が多面的に語られています。
私は、良書と思っています。
雑誌や書籍を寄せつめた域を超えない学者本
これから経営者になる人は読むべき本
経営学者も‘ごっこ’が多い
旧来型経営者にノスタルジーを覚える世代に贈る昭和52年に上から数えて25番目の若い取締役を新社長に抜擢されたときも、新社長が就任されて間もなく、当時、相談役でしたが松下幸之助さんは、一枚の額を持って新社長室に入って来られたそうで、その額にこの「大忍」という言葉が書かれてあったそうです。
その際に一言:「自分も同じ額を部屋にかけておくよ。きみがこの額を見るとき、私も見ているだろうとおもってくれたらいい」
Y新社長は就任以来、経営体質の強化の改革を断行し、先輩の3副社長に引退して貰うなど信念に基づく大胆な経営を行っていました。
役員の中でも「あの男は、クールで話にくい」などの声がでていたとのことで、松下幸之助さんもそのことを心配していたとのことです。
また昭和55年に神奈川の茅ヶ崎に「松下政経塾」を開塾された(吉田松陰の松下村塾が念頭にあった)際にも、塾生が入る各部屋には、自ら心を込めて書いたこの「大忍」の額が「素直」の額と並べて掲げていました。
現在、松下政経塾の出身の政治家の中にもこの「大忍」を座右の言葉とされている方が多数おられるようです。
この「大忍」に込められた意味は、「大きな志を持てば大きな忍耐が求められる。大きく忍び、おおいに忍んで大志を遂げて欲しい。」との思いだったようです。
ちなみに【字通】によると忍の語源は、「能くするなり」とあり、忍耐の意。耐・能などと同声。『たえる、こらえる、よくする、しのぐ。しのぶ、がまんする。ゆるす、おさえる。むごい、平気。音からすると刀の刃部に光のあることを示す刃で靱と通じ、しなやか、しなやかでつよい』などの意味になるとのこと。
]]>これは、松下幸之助さんの言葉。
「指導者の条件」という本の中で、以下のように述べています。
「漢の国の建国200年、政治が乱れ、群雄割拠の状態を呈していた時代のこと。
混乱を急速に鎮定し、漢の王室を再興した光武帝の話になる。軍事も優れていたが、とくに内政が素晴らしかったということです。
早朝から日暮れまで政務に没頭し、さらに夜半まで家臣達を勉強や討論に熱中して時を過ごす日々だったとのことで、健康を気遣った皇太子が、光武帝にほどほどにとのことでいさめたところが、光武帝は、「私は楽しんでやっているのだから、いくらそれをやっても疲れることがない」と答えたとの話題が取り上げられています。
これで松下幸之助さん「『好きこそものの上手なれ』ということがあるが、何をやるにしてもこの『好き』が最も大切なこと」と言っています。
芸術家でも運動選手でも、好きであればこそ激しい練習、きびしい訓練をも苦とせずに精進努力できる。
指導者でも同じ。
指導者として仕事が好きであることが一番大切なこと。指導者は、先ず自分が指導者としての仕事が好きかどうか、例えば経営者では、経営が好きかどうかというところから自問自答することが大事だ。」
と述べています。
最近、GEを世界屈指の優良企業に育て上げたカリスマ経営者のジャック・ウェルチが「ジャック・ウェルチの「私ならこうする!」という本を出していますが、この本は、世界中から寄せられた質問に体験をまじえて答えた内容のものです。
「孫に伝えたい仕事の鉄則」ということで、
エンジニア、さらに管理職として納得いく生活をおくってきたが、孫が仕事で相談にくる。
その時に、ウェルチ氏であれば、どのように回答するか?と聞かれて、以下のように述べています。
「次の時代に伸びると予想される分野は何(バイオテク、ナノテク、IT業界とその複合体に時代が向かっているとウェルチは述べているが)かをぜひ話してあげ、だが、大好きなことをやるべきだよ、ともっと強く話して欲しい。
頭脳と心と魂を奪い、意義あるものと感じされるような仕事を見つけるように話して欲しい。
お金はやがてついてくる。たとえそうならなくても、やがては、お金では買えない何かが確実に心を豊かにしてくれると話して欲しい。
それが幸福というもの。」
と回答しています。
東洋と西洋の対極にある二人ですが、『自分の好きなことをやること』と両者とも同じことを言っています。
このことは、紛れもない真理だと思います。
]]>
富とは、単純な法則を理解し、守れば、いくらでも手にすることができるもの。現代においても富の支配法則は、数千年前のバビロンの時代から変わることはない。成功の黄金原則を説いた感動のストーリーだ。
当初は、パンフレットの形で伝えられたという古代都市バビロンを舞台とした一連の寓話シリーズ。約70年間前に「確実な成功への道のりは、健全な蓄財哲学の実践にあり」という主張を寓話化したものだが、銀行や保険会社、一般企業の経営者たちを中心に評判が広がり、一冊の本にまとめられたもの。
それが本書:「The Richestman in bablon」(George S. Clason)
この本は、2000年2月に大島 豊氏により翻訳されて「バビロンの大富豪―「繁栄と富と幸福」はいかにして築かれるのか 」というタイトルでキングベアー出版より発行された。現在は、絶版となっており、そのためプレミアが付いて1,575円の定価の古本が9,200円とかなっています。英語版であれば、1,000円から1,500円で入手できます。
どんなに時代が変わっても普遍的な真理を説いています
時代を超えた金銭哲学
要約すると
お金持ちになる大原則を学べます
お金持ちでない理由が分かった。本書の目次は、以下の内容になっています。
プロローグ こんなに働いているのに、どうしてお金が貯まらないのだろう―戦車職人バンシアの素朴な疑問
第1話 財産を築くには不滅の「原則」があった―富豪の金貸しアルガミシュの忘れ得ぬ言葉
第2話 富をもたらす黄金の「七つの知恵」とは―大富豪アルカドの価値ある講義
第3話 「幸運の女神」が微笑む人間とは―大富豪アルカドと受講者たちの白熱の議論
第4話 金貨の袋か、「知恵の言葉」が刻まれた粘土板か―大富豪アルカドの息子ノマシアの苛酷な試練
第5話 自ら稼いだ資金の運用は、こうして決める―富豪の金貸しメイソンの忌憚なき忠言第6話 「強固な城壁」は、人々を恐怖や不安から守ってくれる―老戦士バンザルの確固たる自信
第7話 奴隷に成り下がっても、「人間としての誇り」を忘れなかった男―元奴隷、富豪の駱駝商人ダバシアの数奇な体験
第8話 「バビロンの知恵」は現代にも通用するか―出土した粘土板が伝える貴重な記録
第9話 幸福―それは「労働の喜び」を知ること―元奴隷、富豪の大商人シャルゥ・ナダの愛ある教え
舞台となっているバビロンは、メソポタミア地方の古代都市。市域はバグダードの南方約90kmの地点にユーフラテス川をまたいで広がる。語義は、アッカド語のバビリムBab-ilim(神の門)に由来する。バビロンでは、鍬をシンボルにし、全ての神々の王であり、「50の名を持つ神」として称えられ、人間に判決を下し、魔術と知恵を司り水神として知られているマルドゥクを守護神とした。
さて、ここで第2話に登場している『富をもたらす黄金の「七つの知恵」とは―大富豪アルカドの価値ある講義』とはどんな内容でしょうか?
(原文からすると「貧乏な人のための7つの救済策」のようなタイトルだが)
第一の知恵:『稼いだお金の一部は、残しておく』
財布を太らせることから始めると言うもの。財布に10枚のコインを入れたなら、使うのは9枚まででやめておく。(稼いだ報酬の一割以上は、投資のため残しておくこと)
第ニの知恵:『汝の支出を管理する』
十分に支出に見合ったお金すら稼いでいないのに、一割を残しておくというのは困難などと言ってはいけない。自分の欲求と費用経費とを混同してはならない。「必要経費=自分の欲求」ではない。自己管理が出来ない限り、必要経費は必ず収入と同じ金額まで膨れ上がってしまうものである。必要なものは9割の支出の中で賄えるように支出を抑えること。
第三の知恵:『お金を増やす』
貯めた資金は寝かさずに増やすこと。お金を財布の中にたえず流れ込み、いつも中身を膨らませてくれる「金の流れ」をつくることが本当の財布である。
第四の知恵:『汝の財産を損失から守る』
損失という災難から貴重な財産を死守すること。投資でも最悪、元本は確保すること。このことは、金を操り利益を生むことに経験を積んだ知恵のある人に相談する。
第五の知恵:『汝の住居をもつことは、有益な投資になる』
自分の住まいを持つことで、生活コストは大きく下がり、仕事で稼ぐ金のうち、娯楽やその他の欲求に使える額が増える。ここは、今の我が国の事情は、少し違うかも知れない。
第六の知恵:『将来の収入を保証する』
将来の保障を確実にすべく、今から資金準備に取りかかること。早ければ、早いほど良い。年老いたときのための資金や、たとえ自分が今死んでも家族が快適な生活を続けられるような資金を準備しておく。
第七の知恵:『稼ぐ能力を高めておく』
明確な目的に向かって、自己の能力と技量を高め、よく学び、自尊心を持って行動すること。自尊心を持つということは、「自分の支払限度を認識し、借金をしたら能力の及ぶ限り早く返済する」、「家族から慕われるようつとめ、生前より遺言書を作成し、遺産配分を明確にしておく」、さらに「親しい人への思いやりのある態度で接する」という行動をとることになる。
お金持ちになる哲学は、5000年経っても変わらないもの。
]]>こちらは、『君主論』からの言葉です。
新しく国を興した者の守るべき方策です。
君主論の世界のマキャベリの言葉で、国を興したとありますが、ベンチャーを創業したとか、中小企業の2代目、3台目などを継承したなど色々と当てはまるかと思います。
業界で孤立せず、コンペティターのトップとも友好関係を築いておくこと。
何より、最初の勝利で、売りを伸ばし、利益を獲得する経営成果を先ず確実に作り出すこと。
仲間割れを起こさないように最初からそれを封ずる策を施しておく。
旧体制を改革し、厳格であるとともに丁寧で、寛容で鷹揚に振る舞う。
トップの意と異なる営業部隊を配置転換し、新たな営業部隊を創設し完全にコントロール下に治めるなどこういった古典の言葉でも現代のビジネスの局面で実態と併せて活用できる内容が大いにあるかと思われます。
]]>